趣深山です。 四国 剣山 三嶺 天狗塚 周辺の山域での山歩きについての話題です 「趣味の山歩き ますます深くなる近くの山域 」(C)趣深山since2002 e-mail: shumiyama@gmail.com

平成25年3月16日 矢筈山(1848)

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平成25年3月16日 晴れ

矢筈山(1848)

【記録】
木地屋 駐車地点 6:33 ---東膳棚 (9:23-9:45)--矢筈山(10:53-12:23)------木地屋駐車地点 14:29

【山頂】
矢筈山 山頂 「+3.0度 北1-2m 晴れ モヤがかかっている 剣山 次郎笈 三嶺 天狗塚 見える。」

矢筈山 黒笠山 間の 北斜面 の残雪を楽しんだ。


http://youtu.be/ngxW36SXCQw






ピカサ写真

平成25年3月16日 矢筈山(1848)



スライドショー 



1300mくらい 雪がだいぶでてきた


1400mくらい


木の周りに 穴


1550m


1600mくらい


2重稜線部 雪が貯まっている


東膳棚付近から 矢筈山を 眺める


東膳棚


東膳棚 


東膳棚 から 黒笠山 


雪面を楽しむ


稜線で 少し開けたところ


日差しが当たるところは 雪解けが進む


北側斜面は 雪がたまっている


斜面を楽しむ


残雪は豊富


頂上に 続く ところ


頂上 直下


矢筈山 山頂


矢筈山 山頂


矢筈山から 落合峠方面を見る


山頂からの下りでも 雪面 を楽しむ


雪がいっぱい












尾根を下る


沢をわたる


駐車地点へ戻る 鉄橋



平成25年3月16日 午前9時 地上天気図


平成25年3月16日 午前9時 500,300hPa高層天気図


平成25年3月16日 午前9時 850,700hPa高層天気図


平成25年3月16日 レーダーアメダス合成値(気象庁発表)過去24時間降水量変化:動画







2013-03-16 : 矢筈山系 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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「くもとり号」昭和41年(1966年) 6月5日

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茗渓堂の「山日記 1965 」 巻末に書かれている 名言。

「私は幾度か山日記をつけてみようとした。がその日の出来事を書こうとすると、その時は何だか馬鹿らしいような気がした。でも一寸した つまらぬことでも書きとめておくと、あとでその時のことを思い返す時、大へん役にたつものだ。」シプトン





「くもとり号」昭和41年(1966年) 6月5日


■古い記録を 整理していたら
昭和41年(1966年) 6月5日 の山行記録がでてきた。

三峰口 三峰ロープウェイから雲取山 石尾根経由 氷川(現在の 奥多摩駅)

まだ 若すぎる年頃、同じ年のM君との 2人での 山行。

今だったら 親が子供を連れて 子連れ登山などあるが 
その当時 幼い年頃の同じ年 二人だけで 計画・立案・実行した山行。

それにしても 幼い同士 怖いもの知らずで、よく こんな山行をしたものだと いまさらながら 感心。

■山登りに かぎれば やや早熟? というより その当時は なにごとにも 若くして チャレンジすることが 求められる 時代背景があったのだろう。

何事にも前向きに 若い人が のびのびと好きな事が出来る そんな 古き佳き時代だったのだろう。

■ 昭和31年の日本隊のマナスル初登頂をきっかけに大きく火がついたような登山ブームがおこってから10年余たった昭和41年当時には 登山は ブームから いよいよ本格的に 大きく定着し発展していた。

昨今、中高年齢層が主体となっているが、昭和41年 どこの 山々も 若者 ばかりで 占められて 山をのぼるのは 若い人 主体の時代であった。

幼い 私など登山ブームの流れで 知らぬ間に この潮流の中に 入っていったのだった。
■その昔 東洋一のロープウェイだった三峰ロープウェイも 今は廃止。

熊谷経由秩父鉄道だったのが 池袋から西武線もでき西武秩父へ。三峰神社へは 自動車道ができ 西武秩父からバスで神社まで登れるようになっている。

それに 雲取山ピークハントだけなら鴨沢から往復するのが一般的なのだろう。

■山は 時代とともに アプローチも便利になり 登り方も 変わって 山小屋も大きく立派になり 山小屋泊まりで 縦走する人もいるだろう。

いまと 昔と 比べてみて 山自体かわってないところもあるかもしれない。

が 登山者がどう登るかという点では より不便で より苦労の多い 昔のほうが よりチャレンジ的な要素が多く ワクワクした山行が楽しめた のは確かだ。

■三峰神社 雲取山 石尾根 氷川。 確かに 長い縦走路だ。

若くても ロングコースを厭わず チャレンジする この時の山行スタイルは 時代背景は変わっても その後の 現在に至る 私の山行スタイルにも 様々な形で引き継がれていくことにもなっている。



 この山行記録の拙い字句を みて 当時の記憶が あざやかに よみがえってきた。
(カメラは携行していないので写真なし)





■「くもとり号」

上野駅 始発 高崎線経由 秩父鉄道「三峰口」行

上野20時38分発

熊谷からは ガラガラ。寝ず。(一睡もせず)

三峰口 着 23:20

バスが まっていて すぐ乗り すぐ発車 40円

大輪 着 23:45
ここでも 少し雨が降っていた

5-6分 歩いて ロープウェイ駅につく

ロープウェイ 発車 220円高すぎる

山頂駅 24:00

大体 40人くらい 山頂駅に着く。

3-4のパーティーは 出発準備をしていた。

小雨

前に いく人の あとに ついて神社に向かった。道が少し 複雑だった。

24:30 神社の水飲み場でビバーク。寒い。小雨に濡れたためか。

風が強くなって 風下の 家の軒下へ移る。

結局 寝られたものじゃなかった。
他のパーティーは全部いってしまった。


■三峰神社 2:35 出発。ヘッドランプ無しで歩く。小雨は止んでいた。
月夜で明るいと思ってしばらく歩いたが やはり ヘッドランプだす。

道は 明瞭である。

妙法岳 分岐 3:10

霧藻ヶ峰 (4:00-4:15)だいぶ明るくなってきた。パッキングし直す。

お清平 4:25

 すばらしい 夜明け

前白岩5:00

わりと きつい登り途中 15分休憩

白岩山5:50
芋の木ドッケ 6:00
 だらだら道
大ダワ (6:25-7:20)朝食

■雲取山 山頂 (7:55-8:40)
しばらく休憩

雲取山荘9:00
 水筒に水つめる

石尾根に向かう 長いだらだら道

10:50-11:30 昼食

六ツ石13:10 きたない売店

途中 2回 休憩

■氷川着 16:00

駅に近づくにつれ 山道を 歩いていく 都会着の 地元の方に 追い越されていった。




titibu-5756.jpg

かつて 東洋一 今 廃止



2013-03-14 : よもやま話 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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平成25年3月9日 石堂山(1636) 矢筈山(1848) 落合峠(1520)

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平成25年3月9日

晴れ

石堂山(1636) 矢筈山(1848) 落合峠(1520)

【記録】

深淵 駐車地点 6:35 --烏帽子山登山口 7:08 -- 石堂山 (9:25-9:51) --矢筈山 (11:21-12:25)-- 落合峠 (14:31-14:58) -烏帽子山登山口 15:46--深淵 駐車地点 16:12


【山頂】

石堂山(1636) 「11.8度 南 3m 晴れ 烏帽子山 天狗塚見える」

矢筈山(1848) 「9.9度 南 4m 晴れ 少しもやがかかっているが 剣山 次郎笈 三嶺 西熊 天狗塚 見える。春を感じさせる あたたかい風。 三角点露出している。」

すっかり春の雰囲気。 気温が高く 雪が くさり重たかった。



http://youtu.be/H1_eU2jFC6U





ピカサ写真



平成25年3月9日 石堂山(1636) 矢筈山(1848) 落合峠(1520)






スライドショー


石堂山山頂 西側にひろがる 雪田


石堂山から 矢筈山方面


石堂山 山頂 南 水場標識 (定点観測地点)


石堂山 矢筈山 縦走路 例年 雪が遅くまで残っているところ


気温が高く 雪が腐ってきて 重たくなってきている


縦走路 北面の雪面


矢筈山頂を見る


雪面を楽しむ


片川から登ってきた トレース痕が微かに残っていた


矢筈山 山頂北側 


矢筈山 山頂北側 (定点観測地点)


矢筈山頂 すっかり三角点が露出


サガリハゲ方面


矢筈山頂から 剣山方面


山頂を振返る


山頂付近の大岩


南面へ回りこむ


二重稜線のところは 雪が貯まっている


鞍部付近は 雪が多い


夏道は雪面を トラバースするが 今回は 矢筈山第二峰を経由する (「良い判断は経験から、経験は悪い判断から得られる」)


第二峰から 矢筈山 本峰を振返る


下り


サガリハゲ分岐付近から 矢筈山本峰


急な下り


縦走路


落合峠へ の途中で 矢筈山 方面を振返る


落合峠へ の途中で 矢筈山 方面を振返る その2


落合峠から 三嶺 西熊山 天狗塚を眺める


落合峠 北側 


轍が残っている


除雪したのだろうか


深渕 廃屋


深渕


平成25年3月9日 午前9時 地上天気図


平成25年3月9日 午前9時 500,300hPa高層天気図


平成25年3月9日 午前9時 850,700hPa高層天気図


平成25年3月9日 レーダーアメダス合成値(気象庁発表)過去24時間降水量変化:動画







2013-03-09 : 矢筈山系 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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厳しい 風雪に耐える 案山子 (東祖谷 名頃)

4-DSC05857.jpg

2013年1月 撮影

■徳島県 三好市 東祖谷 (旧 東祖谷山村)

厳しい 風雪に耐える 案山子。
案山子の里 名頃 平成25年1月撮影。
案山子製作者Aさんは それぞれの案山子に かつて集落に暮らしていた人や亡くなった家族をモデルにして その人を思い起こしながら 案山子をつくっているという。


 2006年 東祖谷山村など4町2村が合併し 三好市になった 当初 名頃地区は93名だったのが いまでは激減。
2013年(平成25年1月現在) 25世帯 51人の住民。

案山子には 山里の 多くの思い出が こめられている。


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■大正九年(1920)~平成二十二年(2010)までの 旧 東祖谷山村(現在 三好市東祖谷)の人口推移

ピークの昭和30年国勢調査で人口は 8974人。以降 急減。平成22年調査で 1627人

 山里の集落が大いに 賑わったのは昭和三十年代頃なのだろうか

祖谷川 最上部に 昭和36年完成した名頃ダム。
昭和35年頃 ダム建設工事中は多くの建設従事者などで 祖谷川 再奥の集落名頃地区は大いに賑わっていたとか。

勿論そのころは 林業が山里の基幹産業。盛んな林業の うえに ダムの建設もかさなり とても活気があったという。

■ダム建設から 半世紀過ぎて その間 林業が 衰退して 近頃では 全国的に どこの山間地でも 地域の雇用を支える 主力産業は 土木建設業になっていった。

 全国の例と同じく この 四国山地の 奥深い山の中の三好市東祖谷(旧 東祖谷山村)では  林業が衰退し いまでは 数少ない地元の雇用を 土建業が になっているのが現状だ。

■土木工事でも 「京上トンネル」のような超大型工事は全国大手業者。

現在施工中の「下瀬トンネル」などの大型工事は徳島県内 特Aランク業者。

そのほかの  地域の、治山・治水・砂防・道路・河川などの ほとんどの土木工事を 東祖谷の地元建設業者がにない、衰退した林業にかわって
地域の産業雇用を支えてきた。

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東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)赤印 


■その地元 東祖谷 土木工事 Aランク業者(徳島県)が ここにきて 異変。

2012年 旧東祖谷山村内での 徳島県土木Aランク業者は10社。
(他に 規模のぐっと小さいBランク2社、Cランク3社)

だが 昨2012年11月「N1建設」、2013年2月「N2建設」、の東祖谷の土木Aランク業者(ともに名頃地区)2社が破綻。

長年続いた 公共土木工事の減少、地方経済の低迷が破産の要因らしい。

■ 破綻した2社の建設従事職員数は 計25名。2社の年間完成工事高は合計約4億円。

名頃集落で住人は51人。 2社25人分の雇用が失われる。

山間地の高齢者割合は高く、他地区から勤務していた方 他地区へ勤務する人を かりに勘案しても 居住人口の半分を占める雇用先が無くなってしまうのは とても深刻な事態だ。

林業の衰退に続いて 建設産業も衰退という ダブルパンチ。

林道を つくっても 林道沿いの間伐 枝打でさえ 行われないほど 衰退した林業の現状では 不要不急の いらぬ林道工事など無理に建設することなど
いまさら 財政的にもできない。

林道を つくることだけに意義があり、林業に けっして使われない林道をつくることなど できる時代ではない。

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■このところ 旧 東祖谷山村内で やたら目につくのは間伐 枝打ちなど 手入れの なされない 放置林のほか、真新しい墓石、耕作放棄地、廃屋など、など。。。

児童数 減少で 名頃、菅生、落合、栃の瀬など 各小学校は下瀬の東祖谷小中学校へ統合され 廃校。


■シカよけ柵もあっても、人の数の いったい何倍もの数のシカが いるのだろうか?

人里から山稜まで おびただしい数のシカが増殖し とかく野生動物が跋扈しているのは 野生動物とはいえ かれらも人間の活動との関わりのなかで増減しているだけのこと。

もとをただせば、豊かな森を 拡大造林・皆伐・そして林価低迷で 再造林放棄、 まったく手入れせずに放置林にしてしまった人間の過去の罪業が、奥山の自然を荒らして、山域の林業を衰退させ 山里を苦境に陥れ さらに山村の衰退、 シカの大繁殖になって ブーメランのように跳ね返ってきている。

2-DSC05851.JPG

■高齢化率が ますます高まっていく 山間地の苦境は 全国的に共通な問題。

補助金で間伐しても 運び出すこともできず 切り捨て間伐。

 豊富な自然や 森林 資源という 目の前にある宝の山が せっかく あるのに 山村の活性化に なんとか生かせないものか。

問題は 複雑で 即効の特効薬などあるはずもない。

こうした 袋小路につまり とかく 苦しい時ほど 人間は目先の問題に目が向きやすく、近視眼的な見方で 物事を見て行動してしまい、「木見て 山見ず」になりやすいものだ。

目先でない 抜本的な 対策をもって 大局的な 考えをしていかないと いけないと思う。

1-DSC05840.JPG

長年 この山域を登らしてもらって 栄枯盛衰をみてきた 一登山者の立場として 名頃地区にかぎらず 山域の集落、かつての賑わいが 再び呼び戻ってくることを願うばかりだ。

1-DSC05847.JPG
名頃から見上げる 三嶺
2013年1月 撮影
2013-03-05 : 山里 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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