『古道巡礼』高桑信一著

『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年
「近世、それも昭和に入って街道が急激に衰退したのは、鉄道の登場によって物資の運搬の主役を奪われたからだが、壊滅的な打撃を与えたのは車社会の発達である。事実大正三年に開通した磐越西線によって八十里越は潮を引くように衰退していくが、しかしなお、戦後のある時期まで人々の往来はつづいた。
戦後の復興を機に、トラックを主体とする運輸は鉄道と競うように発展を遂げ、ついに人馬による旧来の街道を駆逐してしまうのである。
皮肉にも道は、その発生の系譜を遡り、繁栄を極めた複合の道から順に消え去った。それはそのまま、人馬が主役として君臨した長い道の歴史の終焉を意味する。
この国の至るところに張りめぐらされ、地方の文化の伝播を狙った街道が滅んでから、かなりの歳月が経つ。あるものは深い草むらに沈み、あるものは苔むした石垣に繁栄の痕跡を残し、あるものは地元の熱意ある人たちの手によって保存されて翌日の面影を回復した。そしてわずかに、目的を失わずに生きつづけたゼンマイ採り信仰などの径だけが、古道の息吹をいまに伝えているのである。」
『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年
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瀬戸内海など海運が盛んなところでは 鉄道 道路だけでなく 船の道が しっかり現存してあるので 山の中の古道は 更に紆余曲折をへ 複雑な経緯もあったりして、やがて ついには廃道化した。
2007年(平成19年)4月14日、われわれ一行は かつて賑わった 信仰の道「子持権現山ホンガケルート」を辿った。
このとき、同行の山の大師匠 F氏はかつての古道 名古瀬谷 シラサ峠(しろざ峠)経由 シロジ谷の2つコースのことを話されていた。いまでは 昔のルートを知る人は少なく このルートのことなど もう すっかり忘れ去られていたが、F氏の昔を回顧した 含蓄ある古道の話を直接 聞いて、古道のもつ深い意味合いを それなりに感じることができた。
4月14日の山行には この山域に精通したエキスパートであるS氏も一緒であり 、F氏の話から大いに触発されたようで、その後シラサ峠の古道に 興味を持たれたようだった。
そして この度 S氏に この古道を案内してもらい歩いてみることになった。
西条市 西之川から いの町 本川村へ抜ける古道 シラサ峠。
平成19年11月23日 我々は S氏の絶妙なルートファインディングに誘導され 昔の人が辿った古道跡を忠実に 歩いてみた。
自然の地形を利用して 弱点を突いて 巧みに 付けられた古道。
今では 桟道 木橋などは 既に朽ち果てているものの 所々 未だに残る 苔むした石垣は 昔の人の労苦の痕であり 我々に古道の歴史を残してくれていた。
苔むした石垣
まだ使える 薪ストーブ
立派な風呂
昼頃 上り詰めた シラサ峠はアスファルト舗装された車道があり 時折 車両が行き交い 大きな山荘があった。
確かに この峠道の古道を 廃道にしたのは 間違いなく この車道である 。
シラサ峠 から 子持権現山を見る。
私が初めて この瓶が森 石鎚山の縦走路に来た 昭和39年当時、ここは 縦走路 と 峠道であった筈だが、その後のある時代に 林道開発が進み、 土小屋から 瓶が森 伊予富士 など標高1400−1500M のところに 車道ができた。このとき氷見二千石原はかろうじて残った。
単に山頂だけを目指すというのなら 車道ができるのは歩く距離は短くなって とても 便利になったのは間違いない。
今日、 ただ ピークを簡単に登る 風潮が主流になっているような時代には、こうした 車道も 大いに利用価値があるのだろう。
だが スカイラインの車道に至る間の 深い谷間の 奥深い自然は やはり 辿ってみて はじめて 味わえるものである。こんな素晴らしい峠道であるのに、今まで 気づかずにいたり すっかり存在を忘れてしまっていたのは 時代に流されたといえば聞こえがよいが やはり山の本質を見抜けないという 何とも 情けないことであった。
高桑信一氏のように 昔の記憶を辿る 山旅も素晴らしいものだと、 今回の シラサ峠を巡る 山行で感じた。
そして そのことを 暗示的に示唆してくれたF氏、更には ご案内していただいたS氏には深く感謝する次第です。有り難うございました。
『古道巡礼』
沢筋での「GPS」ご使用時は ご注意
山の雑誌でも このところ GPSについての記事が多くなった。
『岳人』2007年12月号の第二特集は「ゼロからはじめるGPS」。
ガーミンなどのアウトドア用に使えるGPS機器は まだまだ 高価で しかも PCとの連携などの使い勝手など まだまだGPSの敷居は高いものの、月刊誌などで頻繁に取り上げられるようになってきて、徐々に普及度が高まってきているようだ。
今年 運輸多目的衛星用航法補強システム(MSAS:MTSAT Satellite-based Augmentation System)が正式運用して以来、確かに安定して精度が上がって、かなり効果がでてきて、使えるようになってきている。
「平成19年9月27日に試験信号から正式な信号への切換を行い、MSASの供用を開始しました。」
http://www.kasc.go.jp/mission/msas.htm
ただし 良い面ばかりではなく 誤解を招く点もある。
『岳人』 2007年12月号 75ページの挿絵。
2000年5月にSA(Selective Availability) が解除になったときの米国の大統領はビル・クリントン。
http://www.enri.go.jp/~fks442/data/result/
更に 沢筋でのGPSの精度についての記事で 沢でも まずまず 使えるような期待を抱かせているが 実際は ゴルジュなどの深く切れ込んだ沢では誤差が大きいし ロストのほうが多いと思う。
谷間での使用は制約や誤差が多いのが本当のところである。
沢筋 での 「GPS」 ご使用時は ご注意!
先日 深い谷間へ行ったときのトラックログ。ロストしたり とぎれたり 乱れている。
トラックログ取得は(Garmin GPSmap 60CSx)使用
沢筋 での 「GPS」 使用
三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚(1812) 牛の背(1757)

平成19年11月25日 快晴
三嶺(1893) 西熊山(1815) 天狗塚(1812) 牛の背(1757)
【コースタイム】
西山林道栗園入口付近 駐車地点出発 7:14-- 西山林道イザリ峠登山口 7:26---ふるさと林道阿佐名頃線から取り付き 8:15 --1806m標高点 9:54 --縦走路にでる 10:07 -- 三嶺 (10:18-10:46) --西熊山 (11:45-12:04) --お亀岩 12:19 --天狗峠 綱附森分岐 12:42 --天狗峠西山林道分岐 12:46---天狗塚 山頂 ( 13:00-13:44 )--牛の背三角点 (14:12-14:22) ----西山栗園 入口付近駐車地点着 15:20
【距離】
累計歩行距離 17.556km 累計標高差 1634m
【詳細】
三嶺 「3.2度 5m 南風 快晴。剣山 次郎笈 矢筈山系 見える。植生回復のマットがひいてある。」
西熊山 「6.2度 3m 南風 快晴 次郎笈 見える。 」
天狗塚 「8.2度 2m 南風 快晴。剣山 次郎笈 見える。」
牛の背三角点 「6.3度 4m 南 晴れ」
平成19年11月25日概念図
平成19年11月25日GoogleEarth
三嶺山頂の植生回復
東側
東側 その2
西側
北側
時間はかかるかもしれませんが、 いずれの時期かには山頂の植生が元に戻って ほしいものです。
平成19年11月25日
剣山 三嶺 間 縦走記録

剣山 三嶺 間 縦走記録
剣山(1955) 次郎笈(1930) 丸石(1683) 高ノ瀬(1740) 三嶺(1893) の区間を含む あるいは 通過する 色々な縦走コースの記録を纏めてみた。
縦走路は 2004,2005年頃から刈り払いが進み ずいぶん 歩きやすくなってきた。
(ただし伊勢の岩屋の捲き道はのぞく)
2003年頃までの記録では 白髪避難小屋 高ノ瀬 丸石などに 深い藪が多くあって 時間がかかっていたのだが 今回記録を 整理してみて それが改めてよくわかった。
縦走では 縦走完了後 下山したあとに、駐車地点まで 戻るのに 自転車を使うのが多いので、下山後が 楽な下りになる 三嶺 → 剣山の コースが多くなっている。
自転車の欠点は あらかじめ 自転車をデポしておく手間がかかること、その手間と時間が 意外とかかることだ。そして 今年5月3日の転倒事故のあと、自転車は、あまり積極的には乗りたくない。
(自転車で「遭難」)
また車両手配といって、他の同行者と予め 車を 出発点 到着点に それぞれ配置しておくのも 案外 手間暇がかかるし 予定外の変更に 対応できないものである。
その点 所用時間は かかるが どんな臨機応変の予定外の変更にも柔軟に対応できて、一番確実なのは やはり間違いなく 徒歩である。
徒歩で 国道439号を完璧に歩いているのも何回もあるが、下山後は 気分的に盛り上がらず 一度里に下って上り返すときなど 特に精神的に厳しい時もある。
その点 名頃 見ノ越 間の バスは今回2007年11月17日に乗ったのが始めてであったが、バスの時間さえ合えば バス利用で 随分 楽になるのがよくわかった。
今後 バスの活用も 色々と考えてみたい。
三好市営バス
四国交通
剣山 三嶺 間 縦走記録
見ノ越 剣山(1955) 高ノ瀬(1740) 三嶺(1893) 名頃

1732m標高点付近で 剣山方面を振り返る。平成19年11月17日撮影
見ノ越 剣山(1955) 次郎笈(1930) 丸石(1683) 高ノ瀬(1740) 三嶺(1893) 名頃
平成19年11月17日 曇り 晴れ
【コースタイム】
見ノ越 駐車地点 4:26 --剣神社 4:29 --西島リフト駅 5:02 -- 剣山 (5:34-5:42)--次郎笈 (6:17-6:28) ---スーパー林道下降点 6:54 --丸石 (7:09-7:21) ---丸石避難小屋 7:37 --奥祖谷かずら橋下降点 7:39 -- 伊勢の岩屋への分岐標識 8:01---高ノ瀬 (8:17-8:29)--石立山分岐 8:48 --1732m地点 (9:15-9:26) --1700m三角点 9:43 --白髪避難小屋 10:02 --白髪山分岐 10:12 --カヤハゲ (10:39-10:48) --三嶺( 11:31-12:01 )--ダケモミの丘 分岐標識 12:33 ---平尾谷登山口 12:58 --名頃駐車場 13:22 ---- 名頃バス停 13:26
名頃バス停 13:53======(バス乗車)======見ノ越 14:18着
【距離】
累計歩行距離 22.208km 累計標高差 2005m
【詳細】
剣山 「0.1度 5m 南風 少し東の空が青くなった」
次郎笈 「0.5度 3m 南風 曇り。」
丸石 「1.7度 2m 南西風 晴れ」
高ノ瀬 「2.6度 2m 雲がとれ 快晴」
1732m標高点 「2.9度 7-8m 南風 白髪 三嶺方面 雲がかかる」
三嶺 「4.6度 4m 南風 快晴 雲がとれ 快晴 少し肌寒い。 剣山 次郎笈 天狗塚 綱附森 見える。」
名頃バス停を通りかかったら 丁度 良い時刻にバスが合ったので 見ノ越までバスに乗る。
平成19年11月17日概念図
【GoogleEarth】kml
【GoogleMaps】
朝の見ノ越 冷え込んでいるようで 車の窓は 真っ白
剣山登山道にできていた 鹿よけの「テキサスゲート」
人は通すが 鹿は通さない橋。 鹿よけネットも同時に張られていた。
三嶺山頂から剣山方面を見る。
三嶺山頂を振り返る。
落葉の絨毯
名頃駐車場
以前 三嶺 剣山の縦走をガイドしてくれた犬だ。すでに狩猟シーズンに入っているようだが、この犬はマイペースで この駐車場付近で ウロウロしていた。話によると 時には高知県側のヒカリ石駐車場付近までも 散歩コースになっているらしい。満足しきった顔は 今日も 既に 軽く散歩済みか?
乗ったバス (見ノ越にて)折り返し14時42分発になる。
12月からは 春まで冬期運休になるので 乗るなら今のうちだ。4月〜11月中の土日祭日と(春休み 夏休み)にだけ 名頃までのバスが 見ノ越まで延長して運行される。うまく時間が合えば 縦走が楽になる。
http://www4.ocn.ne.jp/~yonkoh/renraku/re_01.htm
平成19年11月17日
GPSストア

上京したついでに「岳人11月号」にでていた、全国唯一の店頭GPS専門
ショップ 千駄ヶ谷の「GPSストア」へ立ち寄ってみました。
http://gpsstore.jp/
地方都市では GPSの購入から、問い合わせなど、ネット通販か メールでの問い合わせなど しか手段がありません。
仮に そこそこの大都会のスポーツ用品店でも 店頭にGPSは置いてあっても、GPSに熟知した販売員など、まず居ないようで、先日、とある大都会の 大きなスポーツショップに立ち寄ったところ、お客さんが GPSのショーケースの前で店員に質問していた。
「GPSの精度はどのくらいですか?」
「あまり良くないようです。 わざと 悪くしているんです。」
こりゃ「SAが解除」になる前の2000年以前の話か?
運輸多目的衛星用航法補強システム
(MSAS:MTSAT Satellite-based Augmentation System)が正式運用して以来、確かに安定して精度が上がってきているようなのに。
「平成19年9月27日に試験信号から正式な信号への切換を行い、MSASの供用を開始しました。」
http://www.kasc.go.jp/mission/msas.htm
GPSの普及を妨げているのは、取っつきにくさとか、機器が高価すぎるとか色々あるでしょうが、とかく わかりにくいGPSについての様々な情報などメールだけでなく直接 詳しい説明を詳しい人に話を聞くことができるのは GPSの普及には とても貴重なことなのです。
ガーミンのGPSだけで店頭ショップができるとは、さすが東京ですね。
N35°40' 55" / E139°42' 19" (WGS84)
GPSストア
山岳遭難救助隊に関する本 二つ。

●『金副隊長の山岳救助隊日誌』
金 邦夫 著
2007年10月5日初版 角川学芸出版
大都会近郊の山だけあって 登山者の数も多く、救助要請は初心者からベテランまで とても幅広く発生しているが 中には 携帯電話での安易な救助要請もおおく 日々 大変 ご苦労なされている。
実際 山岳遭難救助というのは簡単なことではない。遭難が発生するような 悪天とか 暗闇など実に大変な時間帯に わざわざ でかけて いかなくてはならない。
遭難の中でも 道迷いなどで 日が暮れて 灯火類なく 動けなくなり 救助要請するケースなどでは 相手は無灯火であるにもかかわらず探索しなくてはならない。
暗闇の中の捜索活動は たとえ音声だけの相手の反応が頼りであっても 要救助者の位置を的確に特定し 漆黒のなか、急斜面とか崖で救助活動を安全に行うなど これは まさに訓練されたプロフェッショナルなものだけにできる技なのだと思う。
遭難のよく発生する場所など 山域の隅々まで ことごとく知り尽くし悪天候のもとで 救助活動できるというのは 卓越した技術 体力 を、持ったものにしかできないなと つくづく感心させられた。
金氏は 大都会近郊で山岳遭難救助の第一線で活躍しておられるが、氏の数多くの経験から獲られた貴重な ご意見は 拙作サイトの編集方針でも引用させてもらっている。
●『遭難者を救助せよ!』
細井 勝 著
2007年10月10日第一版 PHP研究所
県の名前からして 山が多い山岳先進県。
厳しい訓練をへてつねに最強の山岳レスキュー隊、富山県警の山岳警備隊。
富山県警の山岳警備隊に関する本は今まで いくつか出ているが
「隊員たちの心の中まで踏み込んで、彼らが何を思い、危険な任務についているのか」をまとめた本。
『「道はヒマラヤに通じていない」それは「山岳警備隊は華々しく世界の名峰に登頂するアルピニストにあらず。いついかなるときも、尽くして求めぬ山のレスキューでいよ。目立つ必要は一切ない」との戒めである。』
「山の頂は救助への通り道」
山岳遭難救助隊