趣深山です。 四国 剣山 三嶺 天狗塚 周辺の山域での山歩きについての話題です 「趣味の山歩き ますます深くなる近くの山域 」(C)趣深山since2002 e-mail: shumiyama@gmail.com

落合集落 その3


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落合集落その3

落合峠へ向かう 県道 三加茂東祖谷山線は 大回りするようでも 時間的には一番 速い。

集落内を通る 車道は ヘアピンカーブがきつく ハンドルを何度か 切り返して カーブを通過しなくてはならず 時間はかかる。

新しい 農道もできていた。

奈良女子大学 増井研究室
2008-11-27 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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落合集落 その2


落合集落 の 中心 落合公民館から 落合集落を見上げる。
手前に 説明看板あり。


落合 長岡家 修理中


落合集落 中腹から 西熊山 天狗塚を 見る。


落合峠 から 三嶺 西熊山 天狗塚 牛の背を見る。
平成20年11月9日撮影




落合集落


落合集落 部分図 拡大


落合集落 部分図その2 ( 拡大 )


落合集落 看板 拡大

落合集落

2008-11-13 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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落合集落


落合集落 看板 (拡大 さらに拡大

赤色が里道


中上から見た 落合集落。


看板にある 現在地は 国道439号沿い そば道場

落合集落 説明の看板

「落合は東祖谷のほぼ中央、祖谷川と落合川の合流地点より 山の斜面に沿って広がる集落である。

集落の起源は明らかになっていないが、平家の落人伝説や開拓伝承などが祖谷地方に残っている。

南北朝時代には落合氏はじめ菅生氏、西山氏ほかが南朝方として戦ったことが確認され、中世には集落が形成されていたとみられる。

近世に入ると煙草や馬鈴薯などの栽培が確認され、昭和40〜50年頃までは煙草や各種麦、水陸稲の生産や養蚕を行う山村として維持されていた。

保存地区は東西750m、南北850m、面積32.3haの範囲であり、地区内の高低差は390mに及ぶ。

斜面を下る里道と、等高線に沿って東西にのびる里道が集落のフレームを形成し、この里道よりさらに道を設けて屋敷や耕作地に至る。

屋敷地は地区全体に散在し、その周囲に耕作地が配されている。

屋敷地や耕作地は等高線に沿った細長い形状で、石垣を積み造られている。

保存地区は、山の中腹から麓にかけて立地する山村集落であり、江戸中期から末期に建てられた主屋等を多く残し、畑など耕作地や社叢、石垣、里道など周辺環境とともに一体となった一体となった歴史的風致をよく伝えており、その価値は高く評価されている。」



長岡家修理中


茅葺きの下地。


里道(りどう)と石垣 説明看板


斜面の集落

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落合小 でんけん落合マップ 
落合小
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2008-11-02 : 祖谷 : コメント : 1 : トラックバック : 0
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重要伝統的建造物群保存地区


東祖谷山村 落合伝統的建造物群保存地区

古い 茅葺き屋根 の家を修繕していた。

茅場の確保 育成など 手間と費用のかかる 作業だ。


赤色は 里道(りどう)
青色は 自動車道


斜面の集落

落合小 でんけん落合マップ 

落合小


よもやま話

2008-10-30 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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重文 小采家 住宅


平成20年10月18日撮影

いやしの温泉郷にある 重文 小采家 住宅。


看板拡大
昭和58年(1983年) 移築されてから 25年。

カヤ場の育成から 古い屋根材の再活用など、かつて循環型社会の象徴だった カヤ葺き屋根の葺き替え作業。

今日 行おうとすれば 多大の 困難と 労苦や 費用が 嵩む。
 
循環型社会が望ましいのだが それを目指すのも 簡単でない。





「 ?庵」(ちいおり) 
2009年
“ちいおり”に暮らして


平成20年10月18日撮影

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2008-10-19 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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四輪駆動のゴミ収集車


平成20年10月12日撮影

昔 険しい 山奥の集落にも 四輪駆動のゴミ収集車が やってきて ゴミ収集を行っている 光景に出くわした時も 驚いたものだった。

本当は 循環型社会が望ましいのだが 今日 それは 簡単なことでない。


よもやま話

2008-10-19 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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灰色のLPガスボンベ


平成20年10月12日撮影

今では 道端に こんなものが 置かれていても 別段 驚くことも無く 異変に 気づかずに ただ 通り過ぎてしまう。

特に 変わったことではない 当然と 受け止められている。

が その昔 約30年くらい前だったろうか この山村の ある 集落を通りかかったとき  道端に転々と 置かれていた 灰色のLPガスボンベ を見て 全く 驚いたものだった。

その日は ボンベの定期的な交換日になっていた様で 斜面の集落の各戸から トラックが通る道路までは 住人の役割なのだろうが、重たいボンベが 道端に担ぎだされていた。

まだ 山村の林業も盛んで 村の人口が多かったときであり、こんな 森林資源が豊富な所なのに 燃料革命がここまで及ぶということは、 生活様式が 変化してきたためかと 思った。 

 年月が経ち  いまでは ガス とか IHでも使う 便利な生活様式に すっかり慣れ親しんでしまったからだろうか、なんの感慨も無く 気づかずに ただ 通り過ぎてしまう。

夕刻 煙が立ちのぼるのは 情緒のある光景なのだが。。。 


平成20年10月12日撮影

よもやま話

2008-10-15 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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案山子 その2


耕作地を守る。
案山子の他に、ネットフェンス、
更に テープを張って、空からの来襲にも対応。


知恵を出して、作物を守る。

案山子

よもやま話

2008-10-06 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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里道(りどう)


里道(りどう)

落合集落の中に 縦横に 設けられている。


里道 入り口 の 石標識


以前は 無かったが 最近設置された 石標識。


落合集落 上部。


国道439号 落合バス停 から 上部を 見上げる。急傾斜だ。

集落が 上部から 開拓された のが 納得できる。祖谷街道



斜面の集落

落合峠の道路

祖谷浪漫

祖谷有情

奥祖谷慕情

落合峠 旧道 南側部分を辿った 平成16年11月6日の記録

落合小 でんけん落合マップ

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2008-10-05 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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祖谷街道


祖谷街道

「落合集落では標高の高い位置から開発が進められ、祖谷川沿いの地区は比較的新しい。
祖谷川沿いを走る祖谷街道(現在の国道439号)は池田から出合発電所、西祖谷、落合を経由して久保まで至る祖谷街道として、明治35年から開発され、大正9年に開通した。
これにより交通の利便性が向上し、祖谷地方における物資の流通が盛んとなる一方、かずら橋はその主な役割を終えた。
昭和28年の大火により祖谷街道沿いの郵便局や駐在所、商家などの多くを焼失したが、復興され、祖谷街道に面して商店や住宅などが建ち並んでいる。」


菅生蔭 久保蔭間 旧道にある 63番遍路標石。
平成18年12月16日撮影


その昔、久保 菅生 間で 八十八カ所が整備された。

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2008-10-03 : 祖谷 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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