趣深山です。 四国 剣山 三嶺 天狗塚 周辺の山域での山歩きについての話題です 「趣味の山歩き ますます深くなる近くの山域 」(C)趣深山since2002 e-mail: shumiyama@gmail.com

「世界のどこでも生き残る 完全サバイバル術」ナショナル ジオグラフィック

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「世界のどこでも生き残る 完全サバイバル術」ナショナル ジオグラフィック

ナショナル ジオグラフィック
「世界のどこでも生き残る 完全サバイバル術
自分を守る・家族を守る」マイケル・S・スウィーニー著
日経ナショナル ジオグラフィック社 2011年8月29日第一版
ISBN:9784863131460



あらゆる環境・地域・条件下で生き延びる力をつけよう!
ナショナル ジオグラフィック

SASなど軍関係のサバイバル本が多かったが
ナショナル ジオグラフィックのサバイバル本は
具体的なサバイバルの実例が数多く出ていて参考になる。
登山の技術書としてもいい。

ただ注意したいのは 「サバイバルの基本」 は 単に 知識やテクニックではない。

軍関係のサバイバル本にも くどい位 出ているように、
サバイバルとは「生き抜こうという意志の力」。

どんなに絶体絶命の 絶望の淵にいたっても  ビクともしない腰のすわった精神的なタフさをもつかどうかが 最後の最後では 生死の決め手になる。

それには 普段から万が一にそなえて 用意周到に準備し 心構えを 鍛えあげて おくことが一番 たいせつだ。
2011-11-14 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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小島烏水 講演会



小島烏水講演会
主催 日本山岳会関西支部四国同好会
平成22年10月17日 場所 徳島県立文化の森

作家・山梨県立文学舘館長 近藤信行先生 講演会

講演抄録(その1/3)

http://www.youtube.com/watch?v=voAFQWrdx-8

高松に生まれ、東京、横浜へ。「文庫」へ投稿

樋口一葉の研究

講演抄録(その2/3)

http://www.youtube.com/watch?v=GZdHHKkpJMQ
「扇頭小景」明治32年

山の発見

多摩川 東海道 中仙道 などの旅から 山を発見 山を見つける。

感性が豊かだ。

和田峠の北
稲倉峠(しなぐらとうげ)から槍ヶ岳を遠望。
 保福寺峠から安曇野を。北アルプスを見る。

乗鞍を見て 感動し やがて乗鞍へ登り

その乗鞍の頂上から槍を眺め 明治35年に槍ヶ岳を登る。


講演抄録(その3/3)

http://www.youtube.com/watch?v=LA1xOsjq-Lc

初出の「北日本人」は まだ見つかってないが 「文庫」「山水美論」に出ている。
近藤信行先生 ご愛読の烏水の青年期の生きがいが伝わってくる文章。

自分自身の生き方、これを山中にあって感じ取っている その生成発展。

自分が変わっていく ひとつの姿。

自然に触れて 心のなかが変わっていく 人間的な発展。

黒戸尾根から一日で甲斐駒を往復。


明治36年8月旅中「北日本人」に寄す。
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「 山を讃する文 」

 近来邦人が、いたづらなる夏期講習会、もしくは無意義なる いわゆる「湯治」「海水浴」以外に、種々なる登山の集会を計画し、之に附和するもの漸く多きを致す傾向あるは頗る(すこぶる)吾人の意を獲(え)たり、しかも邦人のやや山岳を識るといふ人も、富士、立山、白山、御嶽 等、三四面登り易きを上下したるに過ぎず、その他に至りては、之を賭(み)ること、宛(さなが)ら外国の山岳の如くなるは、遺憾にあらずや。

 例へば東京最近の山岳国といへば、甲斐なるべくして、しかも敢へて峡中に入り、峻山深谿(しゅんざんしんけい)を跋渉したるもの幾人かある、今や中央鉄道開通して、其の益を享(う)くるもの、塩商米穀商以外に多からずとせば、邦人が鉄道を利用するの道もまた狭いかな、たまたま地質家、山林家、植物家らにして、これらの人寰(じんかん)絶したる山間谿陰に、連日を送りたるものあるは、之を聞かざるにあらずといへども、しかもかくの如きはこれ、漁人海に泛び(うかび)、樵夫山に入ると同じく、その本職即ち然るのみ、余の言ふところの意は之に異なり、夏の休暇(サマー・ヴァケーション)は、衆庶に輿へられたる安息日なり、飽食と甘睡(かんすい)とを以て、空耗すべきにあらず、いずくんぞ自然の大堂に詣でて、造花の威巌を讃せざる、天人間に横たはれる契点を山なりとすれば、山の天職たるけだし重く、人また之を閑却するを 許さざるなり。

 余今夏、友人紫紅山崎君と峡中に入る、峡中の地たる、東に金峰の大塊あり、北に八ヶ岳火山あり、西に 駒ヶ岳の花崗岩大系あり、余等の計画はこれらの山岳を、次第に巡るに在りて、今や殆ど其三の二を途げたり、而して上下跋渉の間、心胸、かつ如(かつじょ)、洞朗、昨日の我は今日の我にあらず、今日の我はおそらく明日の我 にあらざらむ、而して是れ向上の我なり、いよいよ向上して我を忘れ、程を逐ひて自然に帰る、想ひ起す、昨八ヶ岳裾野の紫蕊紅葩(しずいこうは)に、半肩を没して佇むや、奇雲の夕日を浴ぶるもの、火峰の如く兀々然(こつこつぜん)として天を衝き、乱焼の焔は、茅萱(ちがや)の葉々を辷(すべ)りて、一こう水(こう=さんずいに弘)の底に聖火を蔵す、富士山その残照の間に、一朶の玉蘭(はもくれん)紫を吸ひて遠く漂ふごとくなるや、桔梗も亦羞ぢて莟(つぼみ)を垂れんとす、渺(びょう)たる五尺の身、この色に泌み、この火に 焼かれて、そこになお我ありとすれば、そは同化あるのみ、同化の極致は大我あるのみ、その原頭を、馬を牽いて過ぎゆくそう夫(そう=にんべんに倉)を目送するに、影は一二丈五丈と延び、大樹の折る如くして、かの水に落ち、忽焉として 聖火に冥合す、彼大幸を知らず、知らざるところ、彼の最も大幸なる所以なり、職、岳神、大慈大悲、我等 に代り、その屹立を以て、その威巌を以て、その秀色を以て、千古万古天に祈祷しつつあるを知らずや。

 狙来先生その『風流使者記』中に白く「風流使者訪名山」と。我等は風流使者にあらず、しかも天縁尽きずして、ここに名山を拝するの栄を得、名山が天を讃する如くにして、人間は名山を讃す、また可ならずや。

 駒ケ岳の麓、台ケ原の客舎に昼餐を了(おわ)りたる束の間に、禿筆を舐(な)ぶりて偶感を記す、その文を成さざる、翼くは我が興の高きを妨ぐるなからむ。」

 (三十六年八月旅中『北日本人」に寄す。)

[ 旧字体など新字体になっている「日本アルプス」岩波文庫 130p-132p より転記。
いくつかの文字は漢字変換できず、ひらがなにしました。]



東海道 拡大



山と人 自然 芸術の 図表 拡大

「山と人文との交渉を論じて山を人間と自然、すなわち歴史と科学を綜合する芸術としてとらえている」






「小島烏水に学ぶもの」

高松に生まれ。 山岳、文学、芸術など多岐に活躍された小島烏水。

「小島烏水 山の風流使者伝」など書かれ烏水研究の第一人者、近藤信行先生ですが、79歳の御高齢にもかかわらず、講演中 何度も「勉強が足りないとか」「まだまだ勉強しなければいけない」とか発言なされました。

2時間の講演中 何度も「勉強が足りない」。「勉強したいと思っている」との言葉。

小島烏水について 知り尽くしているではなく「勉強が足りない」。

本当に まだまだ勉強が足りない とおっしゃられていましたその謙虚な姿勢。

一番大切なのは まず謙虚に 取り組むということを教えていただきました。

今回の講演で 先生のこうした前向きの姿勢に こちらこそ本当に勉強になりました。

有難うございました。


「小島烏水 山の風流使者伝」
        近藤信行 著 創文社 1978



本名 小島久太 (頼山陽の本名 からとった名前、久太。)


 高松の生まれだが1歳で 東京 横浜へ、

「烏水」は明治30年ころから使い出した。

「烏水」の雅号は
信州 上田の文筆家 瀧澤秋曉(たきざわしゅうぎょう)(1875-1957)
の 厳しい 批評

『鵜(う)の真似をする烏(からす)水に溺る』

名前からして謙虚さをあらわしている。


「小島烏水版画コレクション 山と文学、そして美術」
横浜美術館企画監修 大修館書店2007

浮世絵などの美術に関心があり、海外流出した浮世絵を買い戻したりした。


「山岳紀行文集 日本アルプス」
小島烏水著 近藤信行編 岩波文庫1992

趣深山Jimdo
2010-10-18 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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出版不況

■出版不況が深刻で、雑誌の休刊、廃刊、出版社の倒産が相次いでいる。

世の中、活字離れで、映像主体の文化になったとか、インターネットの普及、ウェブサイトの隆盛の影響 あるいは 出版流通経路などの問題 など 様々な原因がある。

勿論 紙ベースの本もIT化の波を受けて 電子ペーパー、電子書籍など、ウェブサイトでの ダウンロードを可能にした新しい出版スタイルもでてきたり、アマゾンなどの インターネット通販の流通経路も 伸展してきている。

だが 昨今の出版業界の現実は まるで 雪崩がおきたような 急速な 動きのようで、かつては しっかりした内容の本を出すことで定評のあった著名出版社が 次々と 沈没していく有様は何とも寂しい。


■もっとも 何事に限らず いつの 時代にでも 時とともに 世の中の変化はおこるものだ。

情報の受け手にとっては 昨今の激しい潮流の中で 巻き込まれ 翻弄されることなく それらの動きを どう感じ取り どのように受け止めて いかに冷静に的確に対応していくかが 一番大切なことだ。



■もとより ウェブサイトと 紙ベースの本と見比べてみれば それぞれ 大きな特徴があるが、今日、情報量と速達性の観点で 圧倒的優位に立つのはウェブサイトだ。

だが、星の数ほど多く存在するウェブサイトについて、書籍と比べて、情報の質で すべてのウェブサイトが決して高い質を持っているとは いえない。

たとえていえば 玉石混淆ともいえる。

その点 昔から長年蓄積された 書籍には 完璧なまでの内容に仕上がり キチンと構成され 細部にまで 細かな配慮がなされ 磨き上げられた 優秀なコンテンツの充実したものが多い。



■山の本でいえば、「株式会社 山と溪谷社 」は旧来の経営が行きづまり 2006年に経営権が変わり インターネット関連企業のI社のグループ傘下に入った。

I社は 山と溪谷社がもつ 蓄積された過去の コンテンツに注目した。

ようするに 媒体として 紙ベースだろうが WEBサイトであろうが 一番大事なのは 中身自体のコンテンツ 次第。

この点に関して まことに恥ずかしながら 拙作サイト、拙作ブログも 他のウェブサイトについて あれこれ注釈するどころでなく 正直に言えば「人の振り見て我が振り直せ」。

今後とも中身の充実を図り 石から玉になるよう 常に心がけて いかなければいけないと 反省する次第である。



2009-03-06 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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ナショナルジオグラフィック 日本版 2009年3月号

ユーコンクエストに続いて アイディタロッドの犬ぞりレースが始まる。

http://www.yukonquest.com/

http://www.iditarod.com/

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ナショナルジオグラフィック 日本版 2009年3月号に
アイディタロッド 犬ぞりレースのことが書かれていた。

6時間 走って 6時間休むから 
連続14時間走行のチームが出てきているが、もとより鍛えられた 優秀な犬の 走行能力は もの凄いものがあるとか。


それにしても その犬を 操る マッシャー。 
酷寒の凍てついたルートを 14時間連続 連日連夜 1600kを 走りぬける 人間の側も これまた とてつもなく凄い。

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ランス・マッキー氏は 
2007年 2008年 ユーコンクエストとアイディタロッドとダブルヘッダー 同じ年で連続走破。連続優勝という とてつもない大記録を打ち立てた。

”The world's first & only 2 time
Yukon Quest & Iditarod champion!”

http://www.mackeyscomebackkennel.com

ランス・マッキー氏 2009年は ユーコンクエストには出なかったがアイディタロッドには出るようだ。

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ユーコンクエストは -55 F (-48 C) まで下がり、 -10 F (-23 C)以上には殆どあがらない酷寒の厳しい気象条件のもとで 走り抜ける。

(マイナス10度Cを超えると暑すぎて犬が動かないとか。)

走りぬいて 1週間から10日のインターバルをへて すぐまた次のアイディタロッド レース。

10日以上もかかる、1000マイル(1600km)と1100マイルのレースをダブルヘッダーで3500km(計20日間以上)連続走破。

これは とてつもない強靱な精神的肉体的なタフさ。
全く驚くばかり。

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ランス・マッキー氏の驚くべき記録
Iditarod
1,049 mile race ANCHORAGE TO NOME
2001 36th PLACE
2002 Scratched*
2004 24th PLACE
2005 7th PLACE
2006 10th PLACE
2007 1st PLACE
2008 1st PLACE
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Yukon Quest
1,000 Mile Race Fairbanks-Whitehorse
2005 1st PLACE*
2006 1st PLACE*
2007 1st PLACE*
2008 1st PLACE*

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ところで
ユーコンクエストに参戦されていた 本多有香さん。

 残念ながら 途中でスクラッチとなり 完走ならずでした。
よく ご健闘されました。お疲れ様でした。


http://cgi.morespeed.co.jp/YukaHonda/index.htm
2009-03-05 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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『山と溪谷2009年3月号』


『山と溪谷2009年3月号』山と溪谷社
「ドキュメント 山岳遭難 雪崩」
"北アルプス槍平のテントを襲った雪崩"



『 それでも今なお釈然としないものを感じている関係者は少なくない。

「この雪崩に関しては事故が起きたあとでも雪崩のあったことが信じられなかった。今でも個人的には納得できないでいる。」

そういうのは北島である。

北島だけではない。当事者を始め現場で救助に携わったほかの登山者、救助隊員や地元の山岳関係者の人々らは、異口同音に、「まさかあんなところで雪崩が起こるとは」という。』

『山と溪谷2009年3月号』
"北アルプス槍平のテントを襲った雪崩"
羽根田 治 取材・文




雪崩発生時 槍平冬季小屋にいた 北島さん(同流山岳会)(東京都山岳連盟遭難救助隊長)は 遭難現場で捜索のリーダーシップをとった。



なんとも 言いようがない 雪崩だったようで、改めて 悔しさが。。
残念です。                      合掌。


帰国報告会、10日後、まさか!

2009-02-18 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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「イメージをトレースする 山歩き地図2 石鎚山・東赤石山」


「イメージをトレースする 山歩き地図2 石鎚山・東赤石山」
泉保安夫著
ISBN 978-4-9903344-3-7

イメージをトレースする 一連の著作がある著者。
今回は
「イメージをトレースする 山歩き地図1 剣山・三嶺」ISBN 9903344-2-6
に引き続く、山歩き地図 第二弾。

足繁く通い続けた、精緻な 実地踏査を経ただけに 著者の トレースの正確さ 精緻さ を読み取ることができ、今回も、じっくり読みとくような労作といえる地図である。


イメージをトレースする。

2008-12-11 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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『登山道の保全と管理』


表紙カバーの写真は 融雪期 大雪山国立公園 赤岳〜銀泉台間の登山道

『登山道の保全と管理』
渡辺悌二編著
2008年9月9日初版
古今書院


必要以上の 過剰な登山道整備は よくない。

利用者の人数 対象 行動 用途など、
さまざまな レベルに応じた 適切な登山道の整備、維持管理のありかた。
荒廃する登山道の 問題について色々な観点から きちんと纏められた本だ。

12章に 福留脩文 氏が書かれていた近自然登山道工法。参考になる。



裏表紙は登山者で賑わう旭岳山頂 大雪山国立公園



登山道の荒廃とオーバーユース 橋本 敏氏 神奈川県 丹沢

過剰整備 「大峰奥駈道」  


洗掘

よもやま話

2008-09-18 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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森の再生


『図解 山を育てる 道づくり』
安くて長持ち 四万十式作業道のすべて

田邊由喜男 監修 大内正伸 著
社団法人 農山漁村文化協会
2008年2月20日 第一刷

以前から もっと 低コストで 間伐材などの 引き出しができるのはないか思っていたが 最近 こんな本が 出版された。

大内正伸氏のサイト
http://www.shizuku.or.tv/hon.html
http://www.shizuku.or.tv/forest.top.html

http://www.shizuku.or.tv/

「四万十式 作業道」

ここで取りあげている作業道とは 普通 考えられている 広く一般車の通行できる 「林道」とは違い フォワーダなどの林業用作業車が通れるだけの 幅員の狭い 作業道とか作業路と呼ばれる 「簡易な林道」のことである 。

「四万十式 作業道」とは 高知県大正町、田邊由喜男氏 が考案し 広まった作業道である。

コンクリート 蛇篭など使わず 現地の材料を巧みに利用して
自然に優しく 低コストで 半永久的な 作業道。

低い垂直切土
法面は表土ブロック積み
沢は洗い越しで

逆カント 雨水の分散 など とても 参考になる。

グレーチングや 側溝などつけても すぐ詰まることを 考慮して とてもよく考えられた 方式だ。
木材の単価が安いこの時期に 高コストの 「林道」を造るのでないという 主張は正しい。

ただし すべて この四万十式作業道 方式がすべての山の条件に適応するわけでなく 山の条件によっては 普通の林道が適当な場合もあるなど 他の林道 方式も組み合わせて考えなくてはならないといい 末端部で 四万十式作業道が適応できるように適宜 組み合わせ さらには、高性能の林業機械で 効率よく運べる様々な 工夫も大事だし 低コストで架線を張る努力も必要であるとされている。

路面を延々と水が流れて やがて流路ができて 雨水で洗われていき やがて 荒れはてていく 林道をよく見かけて いるだけに この本で 提唱されている 作業道の作り方には なるほど もっと この考え方を利用すれば良いのに と感心されることばかりであった。  

ところで
普通の林道 についての
 オフィシャルな林道の話 林道の役割などは下記参照。

http://www.pref.kochi.jp/~seisaku/seibika/rindou.htm

実録! 林道ができるまで

http://www.pref.kochi.jp/~seisaku/ino/doboku~1/rindeki/rindou2.htm

また 参考になるURLとして 「林道評論センター」は
「まるで欲しかったのは道路ではなく工事かと思ってしまいます。」 「工事は続くよどこまでも」「複数の名称が有る林道」など など 辛辣な意見も含む  各種 林道事業の 事業について 適切に 評論していて この問題に 詳しいサイトです。

http://www8.plala.or.jp/forestroad/index.html

この本に 興味をひかれたのも 実は以前から気になっていた「切り捨て間伐」の問題のためだった。


平成20年4月29日 

平成20年4月29日の 牛の背から下山路は 今冬 雪の多い時期 よく通ったコースだったが 下部の 人工林帯にはいると 倒木が雪に埋まっていた時期に比べ 倒された 間伐材が 幾重にも重なり 木々を乗り越えて いくのに 大変難渋した。

これは いわゆる 「切り捨て間伐」という間伐手法である。この間伐は この山域に限らず どこの山にも 昨今よく見かける 間伐手法で 特に珍しいわけではない。

切り捨て間伐は 木材の単価が とても安くて 倒した間伐材を 引き出す 手間暇など とても かけられないので 現地でそのまま 腐らすという ものであるが、もとより 貴重な 木材資源が こうして 朽ちていくのは 何とも もったいない話だ。

本来なら 間伐材として 活用するのが 正当な方策で、本当は 好ましくはないと思いつつ やむをえず 倒したまま 腐るまで あと20年以上 こうした下草も生えない 荒れ果てたままの状態が続くことになるのかと思うと 何とも いえない 暗鬱な気持ちになる。


昔 山里に 多くの人が住んでいたときには こんなことはなかった。たとえ間伐材といえども 貴重な森林資源として 貴重な山からの恵みは すべてを皆で 大切にし 無駄にはしなかった。

だが、山村は 若年者が減り いまでは人口減少 少人数になり 高齢化が どんどん進んできて 山村では 数少ない 貴重な農地ですら 耕作放棄されているぐらい 荒れてきている。

森林も 全く手入れすらされず 放棄され 荒れ果てたままに そのまま共倒れの人工林なっていく状況なので いたしかたなく、やらねば どうしようもないという程度に 補助金頼みで 間伐だけ「切り捨て間伐」を行うもののようだ。

だが こうした「切り捨て間伐」は 本来の 森林にとってとって 間違いなく 正常な状態とはいえないと思う。

スギ ヒノキばかりの かたよった森づくり を推し進めたりした ツケが回ったかのだろうか?

 林業取り巻く激変の環境に合わせようと 今になって 森を再生しようとしたりして、 あるいは 混合林などへ転換をしようとしても 森が育つのは この先 何十年かのことであって この現状をたちまち変えようとしても そう そう簡単なことではない。

もとより 林業の振興は 山里に活気をもたらす主力の産業として 絶対欠かせないものだが、 現状として 山里は 治山工事、治水工事、災害復旧や災害防除の工事、道路工事、林道工事などが 山里の主力産業になってしまっていて これらが実質的に 山村の雇用を支えているというのが、良くも悪くもの山村の実態なのである。

かりに こうした実態を踏まえてみても さらに本当に問題なのは 林業で成り立つべき山村で たとえ 立派な「林道」ができても その林道沿いの 人工林ですら 枝打ち 間伐など 手入れ一切なされずに そのまま 荒れ果てたままにそのまま 放置されているという 山里の森林の現状のほうだ。

こうした衰退した林業に 以前の活気を取り戻せるかが これからの山村の課題であるのは間違いない。

 もとより 森の再生。これは 何世代にもわたる 気の遠くなる 時間も手間も かかる大変な森林再生モデルの構築事業なのだ。




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2007年秋 トヨタ自動車は 広大な山林を購入した。
これには 社会貢献活動というより 将来を見越した 長期的な構想があるようだ。

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社会貢献活動
トヨタの森

里山

トヨタ自動車、国内の森林再生モデル構築に向けて
三重県内の山林取得に関する売買契約を締結


「 トヨタ自動車(株)(以下、トヨタ)は、社会貢献活動ならびに林業事業を通じた、国内の森林再生モデルの構築に向けて、三重県多気郡大台町の山林取得に関する売買契約を締結した。」

 「今回取得した山林では、山林の管理運営を(株)森林再生システム(本社:東京都世田谷区、社長:速水 亨)に委託し、社会貢献活動の一環としてCO2吸収など森林のもつ地球環境改善効果の最大化に向け、森林の整備から再生まで取り組んでいく。 また、同社の優良材を効率的に生産するノウハウを取り入れ、持続的な林業事業の場として活用するとともに、こうしたノウハウを林業経営者や山林所有者とも共有していく。

 トヨタは、これまでにも社会貢献活動の一環として、地球と社会の持続可能な発展に向けた環境保全活動に取り組んできており、里山再生のモデルとして緑化活動の公開・体験型プログラム等を行う「トヨタの森(1997年〜)」活動や中国における植林活動である「砂漠化防止プロジェクト(2001年〜)」、本年より開始するフィリピンでの植林活動など、幅広い取り組みを行っている。

 今後もトヨタでは、「サステイナブルな人と社会への貢献」をキーワードに『社会貢献』に取り組むとともに、『研究開発』、『モノづくり』をあわせた「3つのサステイナビリティ」の追求に向け、一層の取り組み強化を図っていく方針である。」

<山林取得の概要>
所在地 三重県多気郡大台町
面積 約1,630ヘクタール
取得先 諸戸林産株式会社(本社:愛知県名古屋市、社長:諸戸正和)ほか

(株)森林再生システム



速水林業




NPO法人 22世紀やま・もり再生ネット



森の再生

よもやま話

2008-05-03 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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松本 龍雄 氏 『岳人』 2008年5月号


松本 龍雄 氏 

『岳人』 2008年5月号 備忘録



「本来スポーツは趣味なんだから、成功し、もてはやされても「運がよかった」とか「いい仲間がいたからと」受け止めて謙虚さを忘れないといいんだけど、テレビに出たり本を書いたりして、半職業的登山家と呼ばれる存在になったとき悲劇が始まると思う。」


「自分の魂が気に入った山を拠りどころにして じっくり楽しんだ方が、もっといい登山とか人生につながるような気がする。

いくつかの山を季節やルートをかえて何十回となく登り続けることのなかに宝物があるんです。」


「その年齢に応じ、自分の成長に合わせてよりよい山登りの考え方は変わっていくと思います。ただひとつだけ変わっていないとすると、何もやってもいいけど、自分に恥じない、自分が納得できるものでなければ自分の登山でない、ということですね。

自分に恥じない登山とは、それだけ研鑽し、努力し、鍛えあげておくということ。自立本願でいけ、自分自身を頼りにしろ。」

「宇宙から地球をいたわるような気持ちで見つめて、いま自分がやろうとしていることがどういう危険をはらむのか、真剣に真摯に考えて準備し、体力、気力を整え、危険を知りつつチャレンジする本当の挑戦者になれるかどうか。

いや、挑戦なんて ことば なんて おこがましいと思う。
挑戦者である自分は、たかだかちっぽけな人間なんだ。自然のほうが巨大なんだよ。だからさりげなく、ちょっとだけ私にも登らせてくださいと。自然を、自分の魂の遊び場として貸してもらうわけだよ。

登ったんじゃない、登らせてもらったことだけが残るんだ。」
『岳人』 2008年5月号 備忘録





『岩登りがうまくなる本』
松本 龍雄 著
株式会社 朋文堂新社 
1967年6月20日発行


「危険とか不安とかは、それを知って犯すものではなく、登山を実践するものに、より充実した人生にプラスする何かをさぐりださせ、山や仲間を大切にする謙虚さと、誠実の尊さを教え、登山を通して、ライフ・ラインにつらなる友情さえ生みださせる自然の摂理というべきものなのです。」
『岩登りがうまくなる本』




『初登攀行』
松本 竜雄 著
1966年 あかね書房 
1979年 中公文庫 初版
2002年 中公文庫 改版

「アルピニズムの本来的な意義−−−それは、もともと行為の無償性ではなかったろうか。それは、登山にかぎらず、アマチュア・スポーツ全体の存在意義であったはずである。それが、今 、すべてにスターを必要とし、何人かの記録保持者のみを尊重しようとする、ジャーナリズムやマスコミによって汚されはじめていた。」



「あわただしい 、ひとときが過ぎ去った。
この何年かの間、ぼくは、絶えず飢えたもののように、何ものかを追い求めていた。その間に、ぼくのほかにも、何人も何十人もの初登攀者が生まれ、そして消えていった。

今、ぼくは、まるで嵐の過ぎ去ったあとのような虚脱感を感じる。
あの 青春を賭して得た栄誉も、今では色褪せた存在にすぎないような気がする。そして、あの疼きにも似た、恍惚にあふれた気持ちの昂りも、今ではぼくの記憶から薄れていこうとしている。」
『初登攀行』


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昨今 TV番組には 賞金レースのスポーツ中継が目白押し。

確かに
当時 と今では世の中の移り変わりで
 登山をめぐる環境は 大きく変わった点もある。

しかし
松本氏が その当時 危惧していた問題などをはじめ
『岳人』 2008年5月号で 述べられていることは
昔も 今も 時代を通じて 変わらないことだと思う。
 
山と人間との関わり方など 基本的な点で
自然に対して 常に謙虚さを持つことが大切なこと。
山に対しては 常に 真摯な 真剣な 態度で接すること。

高潔な精神は 決して忘れ去られてはいけない。



登らせてもらった

よもやま話

2008-04-16 : 山の本 : コメント : 3 : トラックバック : 0
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『古道巡礼』高桑信一著


『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年

「近世、それも昭和に入って街道が急激に衰退したのは、鉄道の登場によって物資の運搬の主役を奪われたからだが、壊滅的な打撃を与えたのは車社会の発達である。事実大正三年に開通した磐越西線によって八十里越は潮を引くように衰退していくが、しかしなお、戦後のある時期まで人々の往来はつづいた。

戦後の復興を機に、トラックを主体とする運輸は鉄道と競うように発展を遂げ、ついに人馬による旧来の街道を駆逐してしまうのである。

皮肉にも道は、その発生の系譜を遡り、繁栄を極めた複合の道から順に消え去った。それはそのまま、人馬が主役として君臨した長い道の歴史の終焉を意味する。

この国の至るところに張りめぐらされ、地方の文化の伝播を狙った街道が滅んでから、かなりの歳月が経つ。あるものは深い草むらに沈み、あるものは苔むした石垣に繁栄の痕跡を残し、あるものは地元の熱意ある人たちの手によって保存されて翌日の面影を回復した。そしてわずかに、目的を失わずに生きつづけたゼンマイ採り信仰などの径だけが、古道の息吹をいまに伝えているのである。」

『古道巡礼』高桑信一著 東京新聞出版局 2005年
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瀬戸内海など海運が盛んなところでは 鉄道 道路だけでなく 船の道が しっかり現存してあるので 山の中の古道は 更に紆余曲折をへ 複雑な経緯もあったりして、やがて ついには廃道化した。 

2007年(平成19年)4月14日、われわれ一行は かつて賑わった 信仰の道「子持権現山ホンガケルート」を辿った。

このとき、同行の山の大師匠 F氏はかつての古道 名古瀬谷 シラサ峠(しろざ峠)経由 シロジ谷の2つコースのことを話されていた。いまでは 昔のルートを知る人は少なく このルートのことなど もう すっかり忘れ去られていたが、F氏の昔を回顧した 含蓄ある古道の話を直接 聞いて、古道のもつ深い意味合いを それなりに感じることができた。

 4月14日の山行には この山域に精通したエキスパートであるS氏も一緒であり 、F氏の話から大いに触発されたようで、その後シラサ峠の古道に 興味を持たれたようだった。

そして この度 S氏に この古道を案内してもらい歩いてみることになった。

西条市 西之川から いの町 本川村へ抜ける古道 シラサ峠。

平成19年11月23日 我々は S氏の絶妙なルートファインディングに誘導され 昔の人が辿った古道跡を忠実に 歩いてみた。

自然の地形を利用して 弱点を突いて 巧みに 付けられた古道。
今では 桟道 木橋などは 既に朽ち果てているものの 所々 未だに残る 苔むした石垣は 昔の人の労苦の痕であり 我々に古道の歴史を残してくれていた。


苔むした石垣


まだ使える 薪ストーブ


立派な風呂

昼頃 上り詰めた シラサ峠はアスファルト舗装された車道があり 時折 車両が行き交い 大きな山荘があった。
確かに この峠道の古道を 廃道にしたのは 間違いなく この車道である 。


シラサ峠 から 子持権現山を見る。


私が初めて この瓶が森 石鎚山の縦走路に来た 昭和39年当時、ここは 縦走路 と 峠道であった筈だが、その後のある時代に 林道開発が進み、 土小屋から 瓶が森 伊予富士 など標高1400−1500M のところに 車道ができた。このとき氷見二千石原はかろうじて残った。

単に山頂だけを目指すというのなら 車道ができるのは歩く距離は短くなって とても 便利になったのは間違いない。
今日、 ただ ピークを簡単に登る 風潮が主流になっているような時代には、こうした 車道も 大いに利用価値があるのだろう。

だが スカイラインの車道に至る間の 深い谷間の 奥深い自然は やはり 辿ってみて はじめて 味わえるものである。こんな素晴らしい峠道であるのに、今まで 気づかずにいたり すっかり存在を忘れてしまっていたのは 時代に流されたといえば聞こえがよいが やはり山の本質を見抜けないという 何とも 情けないことであった。

高桑信一氏のように 昔の記憶を辿る 山旅も素晴らしいものだと、 今回の シラサ峠を巡る 山行で感じた。  

そして そのことを 暗示的に示唆してくれたF氏、更には ご案内していただいたS氏には深く感謝する次第です。有り難うございました。

『古道巡礼』 

2007-11-30 : 山の本 : コメント : 0 : トラックバック : 0
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