8000m14座 完登 めざす竹内氏
いよいよ最後の8000m14座ダウラギリへ 登山活動中。
手始めに 高度順化トレーニングでアイランドピーク登頂し
この後 いよいよ 一気に ダウラギリへ。
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/
GPS spotで 現在地が刻々と伝わってくる。
エベレスト山頂
今年エベレスト山頂が五輪聖火の影響でネパール側からの登山隊も足止めされ問題になっているが、世界最高峰の山頂に関する話題。
本当は 神聖な山頂などは 五輪をめぐる論争にさらされることなく 静かな穏やかな山頂にしてほしいと思うのだが、2005年5月 ヘリコプターで山頂に着陸したのも 全く驚くべきことであった。
2005年5月14日。
ユーロコプター社のテスト・パイロット、
ディディエ・デルサーユ氏の操縦
ユーロコプター社製 AS350B3ヘリコプター
この記録が一部始終ビデオにとられているが
この記録が公認されるまでは紆余曲折があり
2006年2月 国際航空連盟(FAI)から公式記録の認定証がでるまでの経緯は
以下の西川 渉 氏の記述に詳しい。
ヘリコプター、エベレスト山頂に着陸
ビデオ映像は以下で見れます。
http://www.mounteverest.net/news.php?id=143
下記では 動画はダウンロードできなくなっていますが 写真はみれます。
http://everestnews.com/stories2005/everestcopter05272005.htm
ユーロコプター社撮影
ヘリコプターの記録としてみれば これは大変な偉業であり、興味深いものであり、将来更にヘリ機体の性能が向上すれば 遭難者の救助などで 現在より もっと高高度の範囲にまで ヘリが活躍できるようになるものと思われる。
AS350B3ヘリコプター
よもやま話
ダウラギリ?峰
昨年秋は誰も完登できなかったダウラギリ?峰
今シーズンは 続々と登頂しているようです。
昨年秋 山頂直前まで達した
ポーランド人キンガも5月1日登頂
Kinga Baranowska
Ivan Vallejo (his 14th 8000er)14座完登,
動画
Gerlinde Kaltenbrunner (her 11th 8000er),
Edurne Pasaban (her 10th 8000er),
http://edurne.isoco.net/web/guest/home
Ferran Latorre,
Nacho Orviz,
Fernando Gonzalez-Rubio,
David Gottler,
Carlos Pauner (his 8th 8000er),
Marta Alejandre,
Asier izaguirre,
Alex Txicon,
Muptu Sherpa
やはり条件は厳しく
遭難もでているし (スペイン人 Rafael Guillen),
凍傷になるのも
天候が厳しいですね。
http://www.mounteverest.net/news.php?id=17258
よもやま話
帰国報告会、10日後、まさか!
2008年1月13日
この日も山中では誰にも会わなかった。
また同じ三嶺からの周回コースは
ありし日の Iさん が突然語りかけてくるようで
Iさんを偲ぶ山行となった。
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人柄
2006年1月29日 剣山 三嶺 天狗塚 牛の背縦走途中 1732m標高点手前。
http://blogs.yahoo.co.jp/tow8848m/25084385.html
http://shumiyama.web.fc2.com/2006/20060129turugi_ushinose.html
初めて Iさんと出遭ったのは この付近 1732m東側を南に捲いていく縦走路であった。
偶然すれ違った この縦走路で 二、三言 言葉を交わしたのが最初だった。人の縁は何とも不思議なもので、奇しき縁で 何年か後、2006年1月29日 ご一緒して このコースを冬季縦走することになるとは そのときは 全く想像もつかなかった。
2006年1月の縦走。 Iさんは以前 単独でこの縦走コース挑戦し 惜しくも 白髪小屋で敗退したことがあっただけに、Iさんにとって かねてよりの念願の縦走コースであったようで、この時は かなり気合が入っていた。
http://blogs.yahoo.co.jp/tow8848m/14305029.html
Iさんは 見ノ越から 常にラッセルの先頭に立って 終始 我々を引っ張っていった。
それでいて 後半 足に故障がでたメンバーには付き添ってあげるほどの気遣い。気力 体力だけでなく 人間的な優しさという 人格の素晴らしさ が備わった 面も見せてくれた。
何人かでパーティーを組む場合 人の纏まりを組み上げるには 中心となる人物の 人望が他のメンバーから尊敬に値するほど得られているかが 大切なポイントである。
Iさんは 雪 岩 氷 沢 尾根 スキーなど様々な 形態の登山をオールラウンドにこなしながらも 私のような狭隘で偏屈な登山とも接点を持てるほどの 大きな器量をもっていた。
Iさんのように 幅広い 器量を持った 人格でないと 大勢のメンバーを纏めることはできない。
このとき きままな単独行で 常に偏屈な 山行を行っている私のような者には 誰からも好感をもたれる Iさんの人柄は眩しく 素晴らしい人格の持ち主だなと思えて、 今更ながらに自分の不徳を恥た次第だった。
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楽しむ
楽(らく)をするということではなく たの(楽)しむということである。
「やまを楽しんでるか。 楽しいんだよ。」
長い周回山行 の途中、 Iさんは他のメンバーに よく楽しんでいるかと 声をかけられていた。
もとより 山は楽しまなくては 長く続きできるものではないが、常に余裕を持って 心から山を楽しむ。
実際 Iさんは山を楽しんでいた。
だが Iさんのように心から山を楽しむのは 誰でもできることではなく 実際は とても 難しいことなのだった。
Iさんのように 心にも 体力的にも 常に余裕を持って 自然に接しないと 山を楽しめる段階には とてもならない。
Iさんの境地に達するのは 並大抵のことではない。
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夢
未明の桑平から つづら折れのヘアピンカーブ道をクネクネと車を進行中に夜が明けていった。 同乗していたSさんと私に 今度 ヒマラヤ8000mへ行くことになったと ハンドルを握りながら 初めて話をされたときのIさんの生き生きした表情と話ぶりは いまも頭にこびりついて離れない。
「山というのは 常に夢を追い もとめていくんだね。是非 夢を実現して」と とてもうらやましく思いながら 励ましのことばを そのとき送った。
実は 目標に向かって 進んでいく こうした気概などは 私にはもう既に完全に喪失してしまっていたので 夢を追い求めていく Iさんの ひたむきな気持ちに接して 自分で忘れていた チャレンジ精神を呼び起こされる気もして いたく感銘を受けた次第だったのだ。
http://shumiyama.web.fc2.com/2006/20060325yahaz.html
このとき 積雪期限定の とっておきシークレットポイントであるサガリハゲ北東台地と 膳棚北斜面を ご案内した。この素晴らしい積雪スロープは Iさんに とても喜んでもらえた。
今となっては だし惜しむことなく 味わっていただいて 本当に 良かった。
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技
ガチガチの堅い急傾斜の雪面を アイゼン無しで キックステップ術だけ
で軽々とグイグイ登っていく。
Iさんと ご一緒した残雪期の山行で、並みのテクニックの持ち主でない、Iさんの その片鱗ぶりを垣間見た瞬間だった。
その後 Iさんの華麗なアイスクライミングは2007年2月25日 まじかに拝見することができた。
まさに「心 技 体」一体となった クライミング。
圧倒された。
http://shumiyama.web.fc2.com/2007/20070225yahaz.html
なかよしカタツムリ氏の アイスクライミング。
難しそうな 傾斜のところでも 無駄な力みが全く無く、軽々と リズミカルな テンポのまま 流れるように実にのびのびと リラックスした感じで登攀していく。
その上 難しいアイスクライミング・ダウンも着実に軽々とこなしていく堅実な動き。 正に アイスクライミングを知り尽くした、全く無駄のない、洗練された動きにしばし 唖然と見とれてしまった。
こんな 小さな氷瀑でのアイスクライミングでも、単に装備とか テクニックとか、体の運動能力だけの問題でなく、 気力 体力 、ルートの取り方 とか 氷の読みや 判断力、あへてやや大げさな言い方でいえば 経験とか知識 の蓄積、さらには真摯な山への取り組み方などなど、 要は 山を登る 総合的な力がそのまま このアイスクライミングに凝縮して出現しているなと強く感じ、とても 勉強になりました。有り難うございました。
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http://blogs.yahoo.co.jp/tow8848m/52950745.html
あまりに早く 逝ってしまったIさん。
好きな山を もっと登ってほしかった。
残念 無念。
本当にお世話になりました。有り難うございました。
心より ご冥福を お祈りいたします。
どうか安らかに お眠り下さい。 合掌。
帰国報告会、10日後、まさか!
徳島ダウラギリ登山隊2007帰国報告会

「とにかく悔しい。 残念の一言につきる。 本当に感想は それ以外にない。」
登山隊の皆様の 悔しさが 伝わりました。
この悔しさこそが 今後の山登りのバネになり 更に新しい目標に向かって進まれることになると信じます。
報告会有り難うございました。
2007年秋 ダウラギリ その7
2007年秋 ダウラギリ (8167m) その7
韓国 登山家 キム ホング ビン さんのサイトを見ると。
http://www.kimhongbin.com/main.html
最新情報 2007/10/20が出ています。
かなり厳しい 下山だったのでしょう。
KIM HONG BIN, 掲示板から 引用
皆さん激励おかげさまで無事に....
作成日: 2007/10/20
作成者: ギムホングビン
「寒さと多くの積雪量で BCですべての荷置いて一人だけダルンティムヘリでカトマンドへ 18日脱出成功....
4日間水の外に食べることができなかった関係で現在体はよくなっています.ポーターたちが上って来ることができなくて 25日まで BC荷物が撤収が可能だろうかは分からないが, 25日大韓航空で帰国予定です.
ヘヘ^^
心配キチォドリョ申し訳ありません.
お腹がすきます~~~~~」
「キムさん(HONG BIN, KIM)は
9月24日からC1にあがり 30日BC
再度上がって 10月5日にBCへ
10月10日 は再々度C1に上がりました。
やはりテントが潰れていたようです。
10月13日山頂へアタックの予定。
10月14日登頂(?)
10月16日 BCへ
10月18日 ヘリで脱出 カトマンズへ
10月26日 韓国帰着」
91年の事故でのハンディキャップを感じさせない 驚くべき活躍ぶりです。
ことにハンディーを負ってからの彼の活躍を見ると
人間が山に登るのに 一番大事なものは 一体 何だろうかとか 深く考えさせられます。
今後の ますますの ご活躍 と ご幸運を 祈念します。
10月26日に 無事 韓国へ 帰着した。
ダウラギリ2007秋 KIM HONG BIN
2007年秋 ダウラギリ その6
2007年秋 ダウラギリ (8167m) その6
ダウラギリから初めてスキーで滑り降りた。
Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー
Fredrik EricssonのWEBサイトが更新されていました。
「2007年10月17日
雪、 雪 、雪、少しだけスキー
先週、天気が変化して、少しの日光がありました。私は、他の登山家5人、Dodo(スロバキア)、Kinga(ポーランド)、キム(韓国)、およびキムのクライミングシェルパ2人と共に、私はダウラギリのサミットに到達しようとしました。
深い雪の登攀を4日間した後に、私たちは続けるのが危険だと感じるポイントに来ました。 雪崩の危険が非常に高かったのです。私たちは海抜7900mにいました。そこが私の最も長いスキー滑降の頂点(トップ)でした。 そこから 大部分パウダースノーでベースキャンプまで高度差3000m以上をスキー滑降しました。 私がその晩 スキーを外す前に別の吹雪がやってきました。 私がカトマンズへの途中に 高度を下げていくと 雪は雨に変わっていきました。
私のコンピュータは調子が悪いので、、ダウラギリのスキーと新しい写真に関するもっと詳しい情報は次回の更新で行います。」
動画もあり。
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2007年10月3日 Cho Oyu (8201m)では
アラスカ アンカレッジの3人のクライマーTyler Johnson, Rory Stark と Will Stark が山頂からスキー滑降した。
Rory と TylerはC1までスキーを外さなかった。
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DodoのWEBサイトに山頂アタック時の写真が公開されていました。
http://www.himalaya2007.expedition.sk/3/index.php?page=fotogaleria
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2006年5月17日
イタリア登山家ロマーノ・ベネト、ニヴェス・メロアのダウラギリ登頂の写真
2006年写真
2005年写真
どちらを 見ても 山頂に見えるが。。。。
イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年5月に再登し「完登」した
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2007年5月のカザフ隊の写真と記録
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ダウラギリ2007秋
2007年秋 ダウラギリ その5
2007年秋 ダウラギリ(8167m) その5
注目のスロバキア登山家 DODO KOPOLD (1980年生まれ)
障害を克服し活躍する韓国 登山家 キム ホング ビン
ダウラギリ山頂から初のスキーの滑降を目指す。
Fredrik Ericsson スウェーデン スキーヤー
彼らは 2007年10月14日 ダウラギリ山頂アタック 。
DODO KOPOLD 、
HONG BIN, KIM 、
Fredrik Ericsson
結局「ポールがあって、より高いものは何もなかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。」
その後 皆 BCまで 一応 無事戻ったようだが
完全に 登頂成功したかどうか 現時点ではよくわかりません。
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現時点では
DODO KOPOLD 、HONG BIN, KIM 、登頂したかどうか
更にFredrik Ericssonだけが登頂成功したかどうかなど よくわかりません。
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10月17日 Dodoのブログ から
「10月16日 (昨日)、私たちには、それは非常に難しかったです。 私たちは夕方に 濡れて、疲れていた状態でBCに戻りました。 風当たりが強く、多くの新雪があって、視界は悪かったです。 C1からの道のりは私たちには時間がかかりました。 私たちは凍傷なしで問題ありません。
全体的に、登頂は 多くの雪のために非常に難しかったです。 ダウラギリ山頂からスキー滑降を目指していたスウェーデン人フレディックエリクソンと2人のシェルパアシスタントをしたがえている 手に障害のある韓国人の登山家と 私たちは一緒に登りました。
私たちは山頂への尾根を登りましたが、ポールがあって、より高いものは何もなかったように思えた場所で、 私はポールの写真を撮りました。 シェルパが、これがサミットであると言ったので、韓国人もそうしました。
Fredrikは、私たちがサミットにいるかどうかを疑いました。
Fredrikは、続けていこうとしましたが、すぐに取って戻ってスキーでダウンヒルをしました。彼は首尾良くBCについて BCを離れました。 私たちはそれ以上 彼に会いませんでした。
私たちは、あえて私たちがサミットについたかどうかを言いません。
私たちの腕時計は8.076mを示しましたが、それは本当に適切ではありません。私たちは、それがサミットであったかどうかはっきりさせなければなりません、そして、あなたに知らせるつもりです。
私たちは今日BCを立ち去らなければなりませんでした。しかし あまりに多量の雪があって、私たちのポーターは来ませんでした。あまりに多量の雪がフレンチパスにあります。 たぶん、私たちは明日ヘリコプターで行くつもりです、そして、この場合、明日か明後日、カトマンズにいるでしょう。」
10月18日
「BCからヘリ、カトマンズ到着、2日間滞在後、帰国予定」
10月19日
DodoのWEBサイトに山頂アタック時の写真が公開されていました。
http://www.himalaya2007.expedition.sk/3/index.php?page=fotogaleria
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参考までに
イタリア人ロマーノ・ベネトとニヴェス・メロアは2005年5月 の「登頂?」のあと、 2006年に再登し「完登」したが、今度の「山頂」についての情報が今後公表されるだろう 。
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ダウラギリ2007秋
2007年秋 ダウラギリ その4
2007年秋 ダウラギリ その4
注目のスロバキア登山家 DODO KOPOLD (1980年生まれ)
2007年10月14日 ダウラギリ山頂アタック 8157mに到達。
2007年春から8000m峰に挑戦。今年いきなり まず8000mのダブルヘッダーを二つ 計4峰トライし、Cho Oyu, Shisha Pangma と Nanga Parbat(二回も登頂)は登頂済み。(K2は登れなかったが 驚異的なスピードでボトルネックの下8000mまで達した)
DODO KOPOLDにとってダウラギリは今年 8000m5峰目の挑戦。
2007年
9月22日カトマンズを出発
9月23日ポカラからヘリでBC入り 以降BC滞在
10月3、4日C2下までいってBCへ戻る
10月7日 一度C1目指し登り始めるが雪崩でリターンBC
10月10日 再度 C1へ
10月12日 C3 設営
10月14日 山頂アタック 8157mまでで
10月15日 C1からBCへの途中 激しい雪で 途中 ビバーク
10月16日 BCに戻る
http://www.himalaya2007.expedition.sk/
「2007年10月16日 Dodo のブログから
BCに戻りました。
私たちはBCにいて、すべてが問題ありません、疲れています。
詳細は後で。 」
「10月15日 Dodo のブログから
私たちはC1から下降しています。 大雪が降っていて、したがって、歩きにくい、私たちは疲れています。
今日、BCまで行きたかったのですが、私たちは行く道を見つけることができません。 私たちは、ビバークして、明日、続けて降りるつもりです。 私たちはBCから更に書くつもりです。」
ダウラギリでは
DODO KOPOLD 、 HONG BIN, KIM 、Fredrik Ericsson
の3隊が頑張っているようだが 状況は厳しいようだ。
K2climb netによると 2007秋のヒマラヤは天候が悪く
http://www.k2climb.net/news.php?id=16609
「埋まる! こんな顕著な秋の季節が、ヒマラヤにありましたか? 雪の負荷と荷重はチョーオユー以外のすべてのサミットの試みをオミットしました。 シシャパンマ中央峰でさえ到達することができませんでした。そして、日曜日に、ニベスとロマーノがまた、マカルーで彼らの山頂へのプッシュを中止しなければならなかったというメッセージが到着しました。 それをもって、すべての目がダウラギリに集まりましたが、KingaとDodoは8157mに達した後に退却しなければならなかったと報告されています。」
ダウラギリ2007秋
2006年秋 ロシア隊も山頂直前で撤退した。
2007年春 2006年春
2007年秋 ダウラギリ その3
2007年秋 ダウラギリ その3
最新情報 キムさんのサイトによると、
「10月10日 キムさん(HONG BIN, KIM)はC1に上がりました。
やはりテントが潰れていたようです。13日山頂へアタックの予定。」
91年の事故によるハンディキャップを感じさせない ものすごい経歴です。
幸運を祈ります。
「キムさん(HONG BIN, KIM)は
9月24日からC1にあがり 30日BC
再度上がって 10月5日にBCへ
10月10日 は再々度C1に上がりました。
やはりテントが潰れていたようです。
10月13日山頂へアタックの予定。」
以下HONG BIN, KIMさんのサイトからの引用です。
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)
http://www.kimhongbin.com/main.html
2007 ダウラギリ(8,167m) 8月 30日出国
2007 南極大陸最高峰ビンソンマシフ (4,897m) 冬シーズン
2007 ダウラギリ発起式 8月 28日火曜日夕方7時光州鉱泉ターミナル後明日新聞3階
世界7大陸最高峰登山中...
8000m級 14座 登山中...
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キム ホング ビン (HONG BIN, KIM)
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)
KIM HONG BIN, 登山経歴
64年 10月 17日生まれ旧暦 (O型)
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登山
83年光州ソンウォン大学山嶽会
84年光州.全南岩壁大会 2位入賞
84年全国山登り大会 3位
88年雪岳山土用幅登山
89年冬季エベレスト(8,848m) 登山
90年パキスタン ナンガパルバット(8,125m) 登山
91年北米マッキンリ(6,194m)単独登山の中で事故で両手切断
97年日本立山(3,015m) 登山
97年ヨーロッパ エルブース(5,633m) 登頂
97年 アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
98年南米アコンカグア (6,962m) 登頂
98年北米マッキンリ (6,194m) 登頂
99年南米アコンカグア (6,962m)・ セルトレ(3,128m) 登山大将
99年キルギスタン レーニンピーク(7,134m)登山
00年マナスル(8,163m) 8,063m 到達
00年エベレスト(8,848m) 登山
01年白頭山(2,744m) 1月 1日来光登山
01年アルパインクライマー上月刊人科山
01年今年の山岳である受賞韓国大学山岳連盟
02年北米 マッキンリ (6,194m) 登頂
02年アフリカ キリマンジャロ(5,895m) 登頂
03年キルギスタン レーニンピーク(7,134m) 登頂
05年中国 コースクロック(7,028m) 未踏峰登山
06年ガッシャブルム1峰(8,068m)登山, ガッシャブルム2峰(8,035m) 登頂
06年シシャパンマ南壁(8,027m) 登頂
07年エベレスト(8,848m) 登頂
07年オーストラリア大陸 コジウスコ (2,228m) 登頂
現在ソンウォン大学山嶽会 O.B
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スキー
89/91全国体育典ノルディックスキークロスカントリー, バイアスロン 1,2,3位
95年全国体育典アルパイン大回転一般部 3位
00年全国体育典アルパイン回転スキー障害人足 2位
01年障害者福祉振興会杖配 1位
01年生活体育リーダー 3級資格取得
01年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年アメリカソルトレイク冬季オリンピック
02年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
02年ニュージーランドチァムピオンスィブアルパインスキー大会
03年オーストリア FIS-IPCワールドカップアルパインスキー大会
04年オーストリア IPC アルパインスキー選手権大会
04年第1回冬季障害者体育大会 1位
05年カナダ北米コップ大会
05年第2回冬季障害者体育大会 1位
05年オーストリアチロル IPC ユーロピアンコップ大会
06年平昌 IPC アルパインスキーワールドカップ大会
06年長野現価高には IPC アルパインスキーワールドカップ大会
私はアルパインスキー障害者国家代表選手
http://ksfd.com/main/main.asp
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経歴
90年国際話題保険設計士
92年全盛起工電算室
93年 2種普通運転免許取得(1種普通返却)
94年クラブ900 ゴルフ場(掘削機, ペルーだ, 2.5tトレード, 7ギャングモア)
03年ハンソル建設(株)
05年スポレンド
現在エコーローバー広報理事
http://www.echoroba.com/
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学歴
77年コフン郡東江面青松小学校卒業
80年宝城郡筏橋邑筏橋中学校卒業
83年順川市Maesan高校など学校卒業
85年ソンウォン大学卒業
90年光州大学校卒業
07年全南大学校経営専門大学院在学
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住所 光州広域市
ダウラギリ2007秋